まとめた

アニメ、漫画、映画、音楽など旬の情報をまとめてます。

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ウソかホントかわからない。あなたが知っている歴史の小ネタみたいなのを教えて下さい。

野口英世は裁判所に訴えて改名した

[ えりもようかん | 女性 | 30代前半 ]

野口英世は自分の名前を変えるために、同じ名前の知人を親戚の養子になってもらい、同姓同名が2人いるので不便だと訴え、改名した。 日本は昔も今も戸籍名の変更は簡単ではなく、裁判所に事情を認めてもらえないと名前は変えられなかった、とは言え、変えるためにそこまでするか!?というエピソード。

豊臣秀吉の手の指は6本ある多指症

[ tantan | 男性 | 40代後半 ]

豊臣秀吉の手の指は6本ある多指症という説を聞いたことがあり、さらに一つの目に瞳が二つある重眼(ちょうがん)だったという説も聞いたことがあります。 これはルイスフロイスのの話や前田利家の話にもでてくるそうです。

沖田総司は美少年ではなかった

[ ふすま | 男性 | 40代前半 ]

美青年剣士として有名な沖田総司は、残っている証言では色が浅黒く、いかり肩でヒラメ顔だったと伝えられていて、 実際は美青年のイメージから程遠い容姿だったようです。 また、純情キャラとして描かれる事が多いですが、遊女を買った記録や未亡人を囲っていた記録も残っていて、 これもまた、実情とは違っていたようです。

初めて離婚式をしたのは、ナポレオン

[ くるみ | 女性 | 20代後半 ]

初めて離婚式をしたのは、ナポレオンだそうです。 妻のジョゼフィーヌとは子供が出来なかったので、なくなく別れ新しい女性と結婚をしました。 その際に離婚式をおこなったととのことで、かなり時代の最先端をいっていたのだなと思いました。

庶民でも「ふぐ」料理を食べれる様になったのは伊藤博文公のおかげ

[ はーちゃん | 男性 | 50代後半 ]

有名な話かも知れませんが、記述させて頂きます。 今日、庶民でも「ふぐ」料理を食べれる様になったのは、初代総理大臣の伊藤博文公が、江戸時代に発令された、ふぐ食禁止令を解禁したからです。 下関の春帆楼にて、当時の女将が、海がしけていて、良い魚の食材が仕入れ出来なかった為、伊藤博文公に叱られるのを覚悟でお出しした「ふぐ」料理を大絶賛し、その後、伊藤博文公が、ふぐ食解禁令を発令しました。 ただ、ふぐにはテトロドトキシンと言う猛毒が内蔵や血に含まれている為、免許を持った調理師ではないと、調理出来ません。

日本で始めてボーリングをしたのは坂本龍馬

[ はっシー | 男性 | 30代前半 ]

今ではスポーツやレクリエーションの1つとして多くの人がボーリングを楽しんでいます。 日本人で初めてプレーしたのは、幕末のスターである坂本竜馬だそうです。 私の小学校時代の担任の先生が坂本竜馬を大好きで、授業中に教えてくれました。

源義経は、実は、チンギス・ハンに姿を変えた

[ りんご | 女性 | 30代後半 ]

今も昔も人気の高い、源義経にまつわる伝説があります。 源義経は、実は、チンギス・ハンに姿を変えて、歴史に名を残したという伝説があります。 真偽は定かではありませんが、源義経源頼朝に殺されたという事実を消したい日本人の思いから生まれた伝説かもしれません。 日本人は、判官贔屓なのでしょう。

宮本武蔵は勝てないと思ったら逃げ出した

[ にゃおんさん | 男性 | 50代前半 ]

宮本武蔵って、必ず勝てると思った人としか闘わなかったみたいですよ。 野性的な印象があるけど、相手を陰からじっくり研究して、勝てないと思ったら逃げ出し、何とか勝てると思ったら、勝ち方や闘った後の逃げ方を徹底的に研究して勝つべくして勝ったみたいです。 研究家だなぁ・・・

聖徳太子は一度も聖徳太子と呼ばれていなかった

[ 栗栖 | 女性 | 20代後半 ]

誰もが知っている「聖徳太子」は、生前は「豊聡耳命(とよとみみのみこと)」や「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と呼ばれており、一度も聖徳太子と呼ばれていなかった。 この呼び名は彼の立派さを讃えて、死後贈られた名前だった。

江戸時代の暮らしは現代に引けを取らないほどエコ

[ ぐりる | 女性 | 20代後半 ]

江戸時代の暮らしは現代に引けを取らないほどエコだった。 例えば紙ごみは、紙屑屋がきれいに拾い集めて、漉き直して再生紙として販売されていた。 川に捨てられた金属類なども、古金屋が引き上げて鍋や釜に鋳直して販売されていた。

大日本帝国憲法」は、一度泥棒に盗まれたことがある

[ あきら | 女性 | 20代後半 ]

大日本帝国憲法」は、一度泥棒に盗まれたことがあるらしい。 憲法を作成していた伊藤博文らは、ある夜の宴会で酔いつぶれて眠ってしまい、そこに泥棒が忍び込んで書類の入ったカバンを盗み出した。 しかし、紙しか入っていないことにガッカリした泥棒は、カバンを塩田に捨ててしまい、のちに発見された。

上杉謙信女性説

[ 内ヶ里 | 男性 | 30代前半 ]

上杉謙信女性説というものがあります。 根拠は、謙信には「定期的に陣中でも人前から姿を消す事があった(生理があったのでは?)」「生涯女人を近づけていない」「妾遊びなどあっても良さそうだが一切子供が居ない」などが挙げられるようです。

「敵に塩を送る」ということわざは、戦国時代に生まれた

[ ラブ | 女性 | 20代前半 ]

「敵に塩を送る」ということわざは、戦国時代、武田信玄兵糧攻めに遭って苦しんでいたところを、ライバルの上杉謙信が援助物資として塩を送り、信玄の軍を助けたと言われていることから、史実から生まれた言葉と言われている。

元寇は台風等の不戦敗でなく戦って負けている

北条氏 | 男性 | 30代前半 ]

元寇は神風(台風)によって元軍が壊滅して実際には戦わなかったとされている。 しかし、最近の研究では普通に戦って普通に勝っているという見方が出ている。 その説によると元軍は負けて逃げている時に台風に襲われたようだ。 泣きっ面に蜂とはこの事か、インガオホー……

山本五十六は実は開戦には否定派であった。

[ 艦隊司令部 | 男性 | 30代前半 ]

日本軍の海軍提督山本五十六。 天才的軍師として数えられる彼だが、実は開戦には否定派であった。 しかし、実際に戦端が開かれればそういう事を忘れ勝つ為にはどうすればいいかを考える、日本人の鑑のような人物であったようだ。

かの聖徳太子非実在説が出ているようです

[ 豊聡耳 | 男性 | 30代前半 ]

かの聖徳太子非実在説が出ているようです。 確かに色々と伝説的な逸話を残している人物で、実在しなかったと言われてもむべなるかなと思えます。 ちなみにテレビで特集された事もありますね。 東方〇〇〇という同人ゲームではそれが一つの作品のネタにもなりました。

プラハのシンボル、カラーン・ミナレットとチンギスハーンの関係

[ くま | 女性 | 20代後半 ]

チンギス・ハーンが猛威をふるった時代、ウズベキスタンにも攻め込み、ブハラという街を襲撃しました。 カラーン・ミナレットという塔の前で風が吹き彼の帽子が飛び、かがみ込んで拾ったチンギス・ハーンは、「この塔はこの私におじぎをさせたから壊してはならぬ」と命じたそうです。 そうしてひと吹きの風に救われたカラーン・ミナレットは、今でもブハラのシンボルとして観光客に人気です。

クラーク博士は帰国後、不遇の人生を歩んだ

[ レッキー | 女性 | 50代前半 ]

「Boys be Ambitious !」(少年よ、大志を抱け)という名言で有名な、札幌農学校の初代校長のクラーク博士。 日本では名教育者として知られていますが、アメリカに帰国後の人生は不遇でした。 大学を設立しようとして失敗、鉱山経営にも失敗し、さらに出資者から詐欺罪で訴えられました。 有罪にはなりませんでしたが信用は失墜しました。 1882年には心臓病で倒れ、1886年に59年の生涯を終えました。

戦国時代は平和な戦争だった?

[ ふすま | 男性 | 40代前半 ]

戦国時代の合戦というと、字面のイメージから壮絶な殺し合いを行っていたように思えますが、 実際は、ヨーロッパから来た宣教師が「平和な戦争」と書き残してる通り、あまり戦死者は出なかったようです。 最も大きな合戦の関ヶ原の戦いでも、一説には数千人しか戦死者はいなかったと伝えられています。

聖徳太子は、実在しなかった

[ あすぽん | 女性 | 20代前半 ]

誰もが知ってる、聖徳太子。 学校で習う歴史で最も古く、誰もが名前を覚える聖徳太子は、実在しなかったという話が。 厩戸皇子(うまやどのおうじ)は実際いるらしいのですが、一気に何人もの会話を聞き分けるというのが信憑性に欠けるとか。 また、聖徳太子は馬小屋で生まれ、さまざまな予言を残したということで、イエス・キリストの生まれ変わりなのでは、とも言われていますが、真相は謎です。

官兵衛が関ヶ原の合戦で覇権を狙っていたエピソード

[ えちよ | 女性 | 30代前半 ]

関ヶ原の戦いのどさくさに紛れて、黒田官兵衛は九州から天下を狙っていたとも言われています。 一方、官兵衛の息子黒田長政徳川家康の勝利のために味方を増やすなどの様々な功績をあげました。 関ヶ原の合戦の終了後、家康は長政の右手を取り、感謝の念を述べたと言います。 その話を聞いた官兵衛は長政に対し、「その時、お前の左手は何をしていた」と一喝。 空いていた左手で家康を刺し殺すことができただろうとの意味で、官兵衛が関ヶ原の合戦で覇権を狙っていたエピソードの一つです。

大奥にご奉公している女中さんにはレズが多かった

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

大奥にご奉公している女中さんにはレズが多かった。 男子禁制の大奥で長い時間生活している女中は互いを慰めるためや、自分の欲望を満たす為に関係を持つことが多かったそうです。 なかには、役者や陰間を買って性欲をみたしていた人もいたそうです。

日本で初めて鉛筆を使ったのは徳川家康

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

中学の歴史の時間に、武将のコネタとして、社会科の先生が教えてくれました。 日本で初めて鉛筆を使ったのは徳川家康である。 鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものなんだそうです。 伊達政宗というのもあるのですが。。。。。。

徳川慶喜は自転車を乗り回していた

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

徳川最後の将軍である徳川慶喜は、非常に好奇心旺盛な方だったそうで、当時まだ珍しかった自転車を乗り回していたそうです。 自転車に乗ることに慣れ油断した慶喜は、うっかり店頭に突っ込み怪我をしたことがあるそうです。

土方歳三はモテていることを親族に手紙で話していた

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

新撰組土方歳三って、京都時代「モテてモテて困っちゃう」と云った内容の手紙を親族に宛てて送った事があるそうです。 たしかに、近藤局長も嫉妬する、端正な顔立ちに剣の腕前。 殺伐とした時代にそれはモテますよね。

ナポレオンが乗ってたのは白馬ではなくロバだった

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

ナポレオンが乗ってたのは白馬ではなくロバだった!教科書に載っているナポレオンの肖像画は、決まって白馬に乗って右手を高く かざしている姿ですが、じつは身長が低かったためロバに乗っていたそうです。 自画像では、それをあたかも馬に乗って いるかのように描き変えています。

道に溢れた糞尿を踏まないためにハイヒールが発明された

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

道に溢れた糞尿を踏まないためにハイヒールが発明された。 近世になっても、パリやロンドンなどの都市では、3,4階の建物が多く、共同トイレが屋外にあった為、上の階の住民たちは用足しに降りてくるのが面倒なので「おまる」を愛用して、夜のうちに窓から糞尿を投げ下捨てていたので、道路は汚物でぬかるみ、悪臭を漂わせていたそうです。

ベルサイユ宮殿は臭かった

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

ベルサイユ宮殿は臭かった! ベルサイユ宮殿には豪華に装飾され椅子式のトイレがあったそうですが、その数が少なく、貴族淑女達は庭や階段の角で用を足していたので、舞踏会は糞尿の香りが溢れ、翌日の掃除が大変であったといわれています。

シューベルトの死因は梅毒

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

シューベルトの死因は梅毒。 結核で亡くなった、と言われてる多くの歴史的人物(芸術家や哲学者)の死因の多くは、じつは梅毒だったりします。 性病は世間体にも悪いので当時流行っていた結核の病名を借りたんですね。

西郷隆盛肖像画は従兄弟をベースにしていた

[ ぱにーに | 女性 | 30代後半 ]

西郷隆盛の現在知られている肖像画は西郷と一番顔が似ている従兄弟の大山巌をベースにして想像でかかれたもので本人の顔ではない。 西郷隆盛は大の写真嫌いで、明治天皇が『西郷の写真欲しい』と言っても断ったほど。 西郷の写真は1枚も現存していないそうです